「親 憎い」で検索すると色んな闇が見えてきますね...
ブサイクで笑われてばかりだとか、否定的で自分の価値観の押し付けばかりしてくるだとか、虐待、過保護、過干渉、放任、無責任、等々。
私も人一倍、親を憎み憎み憎み続けた一人なのでよくわかります。
憎み過ぎた結果、自分に返ってきてしまい、心身にダメージを受けてしまったぐらいですから(笑)
これを読んで頂いてる皆さんには私と同じようになってほしくありません。
親ばかり責めず、腐らず前を向いて、あきらめず精一杯生きてほしいのでこの記事を書きました。
今回は、【大愚和尚(たいぐおしょう)の一問一答の動画の中に、親への憎しみを緩和させるノウハウが見えたのでご紹介します。
動画はこの記事の中盤に埋め込みましたので、気になる方はご覧ください。
Index
少しだけ、私の過去話をします
憎いですよね?わかります。
詳しいことは言えませんが...
もちろん、私にも非はあるのですが、当時は殺してしまいたいぐらい憎みました。
親を殺害した子供のニュースをみながら「とんでもない奴やな!牢屋にぶち込んでしまえ!」と親が言っているのを聞いたときは、怒りで脳が沸騰し溶けていくような感覚を味わいました。
その感覚を感じながら、自分の無力さに対する悲しみが限界を超え、視界が真っ暗になりました。
そして、世の中の救いようのない『歪み』を知りました。
小学校の低学年でした...
憎い...でも憎んでも仕方がない
でも、憎んでも何も状況が変わらないことも、あなたはわかっているはずです。
親も人間ですから不完全な生き物です。
不完全で不器用なりにあなたを育てているのです。
「頼んでいない...」
こんな声が聞こえてきそうですね。
そう、『頼まれたわけではない』のです。
頼まれたわけでもないのに育てているのです。
まぁ、世間体を気にして、育児放棄してないだけのケースもありますが、どんな形であれ『育てている』のです。
「その『育て方』に問題があるんだよ!」
こんな声も聞こえてきそうですね。
でも、多少の苦難を乗り越えてきた私に免じて今だけこう考えてみてください。
『育て方まで親に期待するのは検討違い』 だと。
物事を切り分けて考えてみましょう。
『育てている』事実に感謝し、『育て方』を憎んでみてはいかがでしょうか?
そして、これは親に限らない話ですが、必要以上に他者を変えようとしない、他者に期待しないことです。
少しは気持ちが楽になりましたか?
憎しみを押し殺す必要はない
「憎い...」
その感情にきっと間違いは無いのだと思います。
ただ、憎しみを始めとした負の感情論では何も解決しません。
そこで、大愚和尚の動画を見て閃いたノウハウの登場です。
親ではなく、その先にいるご先祖様に目を向けてみるのです。
しかし、ご先祖様に憎しみを向けるわけではありません。
具体的な事は後で話しますが、先ずは一旦、憎しみの感情を『棚上げ』するのです。
ほんの少しでも心が躍った経験を思い出してみる何か一つでも良いので楽しかったこと、嬉しかったことを思い出してみてください。
『今』、思い出してしっかりイメージができてからここから先は読み進めてみてください。
私たちの『今』があるのは、
ご先祖様の過酷な命のリレーがあったから
大愚和尚が動画の中で『ご先祖様をバカにできなくなった理由』について仰っていることを要約してみます。
▼ 動画 12:00辺り
日本というのは、日本全土が飢えて、大変な状態で明日生きていけるかわからないというような大飢饉におそわれているんです。
私もあなたも、あなたの友達の家系もみんなその大飢饉を経験している。大飢饉では、お嫁さん(お母さん)が我慢をして、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんに食事を差し出していた。
そして、お嫁さんが最初に死んでいくんです。次に、体力が無いからか、お年寄りのおじいちゃん、おばあちゃんが亡くなる。
そして、最後の働き手であるお父さんが最後の最後まで生きて、子供たちに食べさせて、ついにお父さんも力尽きて死ぬんです。
そうやって最後子供が残るわけです。自分の命と引き換えに子供たちに食べ物を運んで、そうやって死んでいったご先祖様の子孫なんです。
漏れなく。あなたも、私も。何々教とか、何々宗とか、信仰とか教団とかそんな話ではない。
ご先祖様が最後まで生き抜いて、子供たちを育ててくれた。そのことの御恩、ご縁を感じたときにご先祖様というのをバカにできなくなった。
いかがでしょうか?
字面だけだと重みにかけるので、時間がある方は動画でご確認ください。
結構、うるっと来ました。(涙)
先ほど、心が躍った経験を思い出していただきましたが、それは、ご先祖が苦しい時代を乗り越えて、這いつくばりながら自分の命と引き換えに子供たちに命を繋いできた事実 があるから、この喜びを感じられるのです。
そう考えると、ご先祖様を大事に思う気持ちと、そのご先祖様が必死に守った末に生まれた自分の命を大事に、一日一日を生きようと思えませんか?
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尊い命は親も同様、
憎い親を『可哀想な人』と思えてきたら成長の証
その自分の命と同様に、親も同じご先祖様が大事に命を繋いだ結果の子孫 です。
そう考えると、憎くてどうしようもないなと思いながらも、いつもより大事に想えるようになります。
すると、憎しみがどうでもよくなり、『可哀想な人』という印象になり、嫌なことを言われても、嫌なことをされても聞き流せるようになります。
ここで誤解をしてほしくないのが、『可哀想な人』と思いましょう!というわけではありません。
『可哀想な人』と思えるようになったということは、以前の憎しみであふれていた頃より『愛せる』、『大事に想える』ようになったということ です。
『可哀想な人』と感じた、その瞬間の感情をどうぞ大事になさってください。
親が親なら子も子、可哀想な部分は少なからず自分にもある
可哀想なのは自分も同じです。
血がつながっているのであれば、どこか嫌なところも似ているでしょう。
完璧な人間などいません。
親を可哀想だと思えば思うほど、自分も同類だと思えるようになってきます。
そうすると親の苦労が見えてくる。
そうすると感謝に変わる。
もちろん、全てに対してではありません。
ですが、感謝できることが少しずつ見えてきます。
人は一人では変われないので、あなたの気持ちが変わらないうちは親の憎い部分は憎いままでしょう。
しかし、あなたの気持ちが以下のように変化し言動も穏やかになれば、不思議とそれを追いかけるように相手も穏やかになるものです。
...時間はかかりますがね。
- 『憎くて可哀想な人』
- 『可哀想な人』
- 『可哀想で大切な人』
- 『大切な人』
当然、上から順番に順調に進むことはないでしょう。
『憎いが大切な人』になったり、
『ただただ憎い人』になったりすることもあると思います。
私はそれで良いと思います。
大事なのは、『その憎しみを、いつまでも引きずらない事』 にあります。
まとめ
いかがだったでしょうか?
親が憎くくてどうしようもない!
そんな時、簡単に出来る気持ちの静め方をまとめると以下のようになります。
- 感謝することと憎むことを切り分けてみる
- 憎んでしまうことは一旦受け入れながら、次の手順で棚上げする
- 我々の『今』があるのは、ご先祖様が自分の命と引き換えに子どもに食べさせた過去がある事を思い出す
- 自分も親もご先祖様が必死で守って繋いだ尊い命であることを思い出す
- 自分も親も不完全な生き物であり、その不完全さは多かれ少なかれ似ていることを認識する
- 受け止めることは受け止め、聞き流すことは聞き流す、時間が必要なことには時間をかける余裕をあなたが持つこと
しつこいようですが、大事なことなのでもう一度。
憎んでも良い。
しかし、大事なのは『その憎しみを、いつまでも引きずらない事』です。
後これ↓も大事ですね。
息苦しさを減らす為には、自分の小さな感情に気づく事が大事。
その感情はどこから来たのか?
それは必要な事か?
不要なら次からブレーキを自然とかけられるようにするには、どうすれば良いかを考えておきましょう。#気づき #自己制御 #克己— 俵藤コウ | ミニマリズム思考 (@kohyodo) October 6, 2018
負の感情は有限の時間を浪費します。
皆さんも、穏やかな気持ちで、生きがいを少しでも早く見つけてみませんか?
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このページではYouTubeチャンネル【大愚和尚の一問一答】内で紹介された心に響く仏語や禅語等と動画のリンク、私のブログ内の記事があればそれも紐づけております。 何か心のモヤモヤを解決するヒントが欲し ...