何か落ち込むことがある度に
「あ"ぁ、なんで生きてるんだろう?」
「なんで、人間は結局死ぬのに生まれるんだろう?」
と何回も何回も同じことで悩んで自己嫌悪している方は多いのではないでしょうか?
私がそうでした。
悩みは時間の浪費です。
時間がもったいない!
ということで、今回は、なにかと意味を見出さないとやる気が出ない面倒くさい性格の私が『生と死』についてどう解釈し、『生きる意味』にどんな結論を見出したのかを紹介させて頂きます。
私はこれで、見事に悩む時間が減りましたし、生きる活力が格段に上がりました。
ただ、ちょっとぶっ飛んだ発想なので、あなたに適しているかはわかりませんが参考にはなるかもしれませんのでご覧ください。(笑)
Index
面倒くさい自分を受け入れ、どう解釈するか
この面倒くさい性格はどう頑張っても変えられないので、受け入れてみました。
受け入れた上で、『生と死』をどう解釈すれば、この面倒くさい性格は、どんな『生きる意味』だと納得してくれるのかを考えてみました。
あの世とこの世があると仮定すると
鬼太郎の歌だったり、仏教だったり、あの世は極楽だといいますよね?
そして、この世は私が感じる限りは地獄です。
なので、あの世がメインでこの世はオプション的なコースだと仮定します。
どんなオプションかというと修行です。
魂が未熟である限りこの世に送られると仮定すると
未熟な魂があったとします。
あの世の偉い人は、未熟な魂を見つけては「お前には修行が必要だ!修行してこい!」とこの世に生成された肉体に宿らせると仮定します。
肉体はいつか滅び、魂はまたあの世に帰ります。
つまり、以下の流れを魂が未熟である限り、繰り返すと仮定してみました。
- この世に生成中の肉体に未熟な魂が宿る
- この世という名の生き地獄で修行をする
- 事故、事件、寿命で死んで、あの世に帰る
- あの世の偉い人に「修行がまだ足りん!」と言われこの世に送られる
ならばこれで最期にさせてもらう
そう仮定したときに私が思うのは、『もう生まれたくない!』です。
だって、面倒くさいんですよー。(笑)
価値観なんて人それぞれなのに、感情的になって、押し付け合って、ぶつかりあって、蹴落としあって、戦争して...
何の意味があるんですかー??
棲み分ければいいのに...
と偉そうに言ってますが、うつになる前の自分は無駄に好戦的でした...
そう考えると、うつになって良かったと思います。
私は自分の価値観を語るのは好きですけど、押し付けるのは好きではないです。
私自身が押し付けられるのがホントに嫌だから。
だから理不尽なヤンキーとかクレーマーとかホントに苦手です。
感情論ばっかりで会話にならない人とか。
人間である以上失敗するし、感情もあるのに、理屈ばっかりで必要以上の謝罪や見返りを求めてくる人とか。
『な・ん・の・意味があるんだ』と。
だから、この世で生きるのは今回限りにさせて頂きたいと強く感じるようになりました。
そして、万が一またこの世に生まれることがあっても少しでもストレスが少ない世の中になっていてほしいので、一人でも多くの人が自律して助け合える世の中になるよう社会に貢献します。
まとめ
もう二度とこの世に生まれなくて良いように、一分一秒を大切にして少しでもこの世の真理にたどり着けるよう死ぬ気で死なない程度に生きることにしました。
だから、自殺とかはもってほかですし、事故死も嫌ですし、他人の都合で殺されるのもまっぴらごめんです。
迷惑です、ホントにやめてください。
だから、寿命を感じたら追い込みをかけるように生きなければと思いますし、いろんなことを学んでギリギリまで成長できるように、頭はボケたくないですし、身体も健康でいたいですし、価値観的な視野も広く保っていたいので人格も最後の最後まで高めます。
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ストレングスファインダーの話をすると
ちなみに今回の話と【運命思考】の関連性は以下の通り。
- 何事にも意味を求める性格
- 人生をかけて達成したい大義がある
- 自らの役割や使命を見出せば大きな成果を上げる
- 自分の時間(運命)の使いかたをコントロールしたいと強く感じる
私は上記の特徴が強い証拠に【運命思考】が3位です。
さらに、そもそもの本質を求める【原点思考】が2位と出ているので、行動理由としての『意味』にかなりのこだわりがあるのは間違いないです。
なので、意味を見い出すまでに時間がかかったり、意味を見出しやすい分野も絞られるので活躍する場が限られますが、意味を見出してしまえば、どこにそんなエネルギーがあったのかと自分でも驚くほど、モチベーションが格段に上がります。